Salesforceを導入いただいた多くのお客様が、効果を実感してご活用いただいています。しかし、導入する前には何かの経営課題を抱え、その結果を引き出すまでには多くの選択肢を積み重ねてきているものです。
そこには多くの企業に共有できる、経営のヒントが隠されています。本連載では「今だから語れる、私の経営回顧録」と題して、経営者の方がなぜその結論に至ったのか、どのように経営の舵取りをしてきたのかということに焦点を当てて、インタビューをお届けいたします。
第1回目にご紹介するのは、Salesforceを導入してから10年が経過した株式会社ツルガ代表取締役社長の敦賀 伸吾様 です。同社はSalesforce導入によって営業活動を効率化し、前月比120%のペースで毎月売上を伸ばすという、驚異的な成功を収めました。しかしその後、ある事情で売上が激減すると共に、社員も次々に辞めてしまうという危機に直面します。これらを見事に乗り越え、現在では新たなビジネスモデルを確立し、利益率も大幅に増やしています。その間、経営トップとして何を考え、どのようなことに取り組んできたのでしょうか。
手当たり次第にメールを送ることで顧客が急増
私がツルガに入社したのは1999年。もともとは建設のコンサルタント会社にいたのですが、父親が経営する会社を継ぐことになり、二代目として入りました。入社してわかったのは、既存のビジネスモデルをそのまま継続すればいいという、簡単な状況ではないということです。当時は45社のお客様がいらっしゃったのですが、限られた取引先から発注を受けるだけでは、未来は決して明るくないなと感じていました。
そこでまず取り組んだのが、東証一部上場企業に片っ端からメールを送ることでした。当時はメールの一括送信が増えていた時期で、「同じことをうちの会社でもやったらどうなるだろう」と考えたのです。まずExcelで乱数を組み込んだマクロを組み、当社が取り扱うネジの写真を添付したメールを、手当たり次第に送りました。私はこの間、自宅でExcelと格闘しており、会社にはほとんど出社していません。そうすると、興味を持ってくれる会社がちらほらと問い合わせをくださるようになり、設計部の担当者を紹介してくれるようになりました。ここから特殊ネジのコンサルティングを請け負えるようになります。その後、2003年にはメーカーやエンドユーザーから吸い上げたニーズを製造現場のシーズに結びつけ、付加価値の高い新しいネジ商品を企画・開発する「ネジ革命プロジェクト」をスタート、2006年には最適なネジの強度や寸法を提案する「ネジ設計コンサルティング事業」も開始しています。
この頃はまだ、このような方法でネットを活用している会社が少なかったせいか、どんどん問い合わせが増えていきました。1年目は100件程度だったのですが、5年目には5000件程度にまで増大。しかしお客様が増えていくに従い、今度は会社の崩壊が始まりました。仕事が増えすぎて人手が足りなくなっていったのです。
パートタイマーの主婦の活躍で人手不足を解消、オペレーションフロー確立のためにSalesforceを導入
当社は東大阪の会社ですが、この地域はメーカーの下請工場が多く、作業着を着て仕事をしてなんぼ、という文化です。卸の事務作業をやってくれる正社員の採用がなかなか難しい。そこでパートタイマーの主婦を採用することにしました。ただ、主婦との兼業ですから、働ける時間が限られてしまう。「残業して帰りが遅くなると旦那に叱られてしまう」という理由で辞めてしまった人も少なくありません。この時期は「辞めたい」「辞めんでくれ」というやり取りが、頻繁にありました。
人が辞めても業務が円滑に進むようにするにはどうしたらいいか。必要なのはオペレーションを明確にして、属人性を排除することです。そこで2004年からグループウェアを導入して商談情報を共有するようにしたのですが、それだけでは不十分でした。グループウェアでの商談共有をするためには、まず私自身が商談の進捗を把握し、それぞれの商談の状況に合わせて従業員に指示を出す必要がある。そのため商談が増えてくるに従い、私自身のキャパシティを超えるようになってしまったのです。それぞれの従業員が判断し、自律的に営業活動を進めていくのが理想なのですが、グループウェアではこれが実現できなかった。
グループウェアにはできない自律的な営業活動を、可能にするツールはないものか、その後も探し続けました。そして2006年の年末も押し詰まった頃、「CRM」をキーワードにインターネットで検索した結果、見つけたのがSalesforceです。検索結果のリンクをクリックすると、外国人が英語でなにか喋っていて「なんだかカッコええな」と。無料で30日間使えるということで使ってみると、グループウェアにはなかったオペレーションフローが、Salesforceにはあった。これなら使い物になる、うちのニーズに合致すると考えて、導入することに決めたわけです。
NHK「クローズアップ現代」にも出演、注目を浴びた2008年
Salesforceを入れることで、人が入れ替わっても業務が滞りなく流れる仕組みができました。主婦は家庭の事情や夫の転勤で退社するケースが多いのですが、もともと働く意欲があり能力も高い人が多い。Salesforceでオペレーションフローを組めば、新たに業務を引き継いだ人が「自分が何をやるべきか」がすぐにわかる。柔軟な人材確保を実現できたのです。これは大きかった。私自身がやるべき仕事が減った結果、より多くの問い合わせや引き合いに対応できるようになり、前月比120%のペースで毎月売上が伸びていきました。2007年4月にはモバイルでもSalesforceを閲覧できるようにし、8月には東京にもオフィスを構えました。
Salesforceによる業務効率化は、セールスフォース・ドットコムの事例として紹介され、2008年2月には経済産業省の「中小企業IT経営力大賞」の「審査委員会奨励賞」と、「関西IT活用企業百撰」の「最優秀企業賞」を受賞。新聞や雑誌にも取り上げられました。また4月にはNHKの「クローズアップ現代」の取材も来ています。会社だけではなく家にまで取材チームが来て、朝から晩まで2日間、ピッタリと張り付いて撮影していましたね。放送予定日は2008年10月15日で、この頃はリーマンショックや自民党総裁選等、大きなニュースが多かったので放送がなくなるかもしれないと思いましたが、無事放送されました。
振り返ってみると、当時はもう有頂天で、天狗になっていました。中小企業の社長が実力もないのに有名になり、だめになっていく典型的なパターンです。
NHKで会社の名が知られることで、売上がさらに伸びるだろうという期待もありました。しかし実際には逆に、その直後から売上が下がっていったのです。
手法を真似され売上が低下、新たなビジネスモデルの確立へ
売上低下の理由の1つには、リーマンショックの影響が挙げられます。でも原因はそれだけではありません。NHKを見た他のネジ卸やネジ工場が、当社の取り組みを真似し始めたのです。ネジを購入するメーカー側もより安く仕入れるため、ネジ工場に直接購入を持ちかけるケースが増えていきました。いわゆる「中抜き」が進んでいったわけです。売上はあっというまに半分程度まで落ち込み、天狗になった鼻は、あっさりとへし折られてしまいました。
ただ、すでにそれ以前から、お客様の要望が変化し始めてきたな、ということは感じていました。以前は「こんなネジはできますか?」という注文ベースの試作品づくりが多かったのですが、次第に「このネジが欲しい」という、ピンポイントでの発注が増えていたのです。
以前の当社は特殊ネジに強みがあったのですが、それよりも品揃えを強化した「ロングテール」の方が売上は増えるのではないか。特殊ネジはお客さまが限られてしまいますが、ネジの種類は60万点もあり、お客様の裾野も広いはずだ。このように考え、新たなビジネスモデルを作り上げることにしました。
その結果生まれたのが、国内最大級のネジ通販サイト「ネジクル」です。
通販サイト「ネジクル」をスタート、知名度向上のため自らチラシを配布
ネジクルの検討を始めたのは2008年1月。NHKの取材が来たときには、すでに要件定義はできていました。サイトが立ち上がったのは2008年9月です。この頃はネジクルの認知度を上げるために、パナソニックやシャープの工場の前でチラシを配ったりもしました。ネットで広告を打つという方法もあるのですが、これでは上の世代には届きにくい。やはり紙の広告という、アナログな手法が有効なケースは、今でも少なくありません。
チラシのポスティングは、現在でも私自身で行っています。チラシが売上にどれだけ貢献しているのかについてははっきりとしたことは言えませんが、難波や梅田から会社まで歩きながらポスティングしていくと、街の状況がよくわかります。工場に置いてあるパレットを見れば、その工場がどのメーカーと取引があるのかがわかりますし、積み上げられたパレットの数で取扱量も判断できます。
例えば鉄の業界は20日締めなのですが、3ヵ月間ほど平均して18~19日にパレットの数が多ければ、その会社の事業は安定していると考えられます。これをSalesforceに蓄積したアクセスログと突き合わせることで、どのようなタイミングでアプローチを行えばいいかもわかります。
また同じ時期に、ボルト・ナット防錆キャップである「TSキャップ」も開発しており、2008年2月に出荷を始めています。「TS」というのは私のイニシャルです。これなら他の人が真似できないだろうと。