DXには、一部の既存業務の単純なデジタル化だけでなく、組織全体で包括的に取り組むことが不可欠。また、その推進にはチームをまとめ課題を解決していく、強力なリーダーシップが必要です。奈良県の行政DXの陣頭指揮を執る湯山壮一郎副知事は、「現場にある熱い“思い”と“知恵”を生かすことこそリーダーの仕事」と説きます。あらゆる組織に共通するDXのリーダーシップを紹介します。
データ+AI+CRM+信頼が支えるひとり親家庭に寄り添った相談支援
データ・AI・CRMを駆使して、支援が必要な対象者に対して適切な対応を継続的に行う「寄り添い型支援」をSalesforceでどのように実現していくのか、ひとり親家庭への相談支援のユースケースを例にデモ動画でご紹介します。
目次
※ 本事例は2024年3月時点の情報となります。掲載している内容、所属や役職は取材当時のものです。
露呈した「届ける力」の弱さ
――奈良県は2022年に「奈良デジタル戦略」を策定し、その一環として2024年に県民がスマートフォンなどで行政手続きが完結できる「奈良スーパーアプリ」を稼働させました。
奈良デジタル戦略と奈良スーパーアプリでは、2つの視点が共通しています。
1つは県民に対する行政サービスの品質を向上させること。もう1つは県庁職員の生産性を上げることです。
前者で言えば、政策や行政サービスを的確に「届ける力」を強化しています。
これまでの行政サービスの大半は、利用者が情報を探し出し、申請して初めて享受できる状況でした。そのため、たとえばコロナ禍の時は、支援を必要としている人は誰で、その症状や居場所を行政機関が十分に把握できませんでした。
持続化給付金の交付でも、誰が本当の意味で経営上のダメージを受けているのか、困窮状態に陥っている家庭がどこなのか、行政側が明確に把握できませんでした。財政措置や支援は用意しているものの、「届ける力」が弱いことを改めて実感しました。
行政サービスはCRMの思想を生かすべき
――奈良スーパーアプリのデータ基盤には、「顧客起点」を基本思想としているSalesforceを利用しています。県民一人ひとりに「届ける」という意味で、奈良県が目指したビジョンに合致した、ということでしょうか。
そうですね。CRMをベースとした基盤が整えば、パーソナライズした行政サービスや的確な情報発信を手がけられます。
支援を必要としている人を行政側が把握し、情報やサービスを提供していく。僕は、特に支援系の行政サービスは県民に「プッシュ型」で半ば自動的に提供されるべきだと思っています。
支援系の行政サービスを真に必要としているのは、社会的に弱い立場の方々が多い。しかし、そうした方々は、自ら行政に声を上げたり、手を上げる受援力(=援助を受ける力)が高いとは言えません。
せっかくサービスがあっても結果として届けることができない。何とか、いざ申請という段階になっても、これまで提出した書類と同じ項目を何回も記入させて「申請しないとお金を出しません」というスタンスはあまりにも不親切ですし、何よりも、政策効果を滅失させてしまう。
例えば、一人親家庭への支援給付金なら、本来なら、サービスを提供する側の行政が要件に合致する人には自動的に案内を送ればいい。情報が整備されていれば、それが可能なわけですから。このような行政のプッシュ型サービスは、他国では整備されており、たとえばイギリスではコロナ禍時に効果を発揮しました。
本来、支援系の行政サービスというものは、それを必要とする人が自然と難なく受けられるものであるべきで、意識して苦労してもらうというものではないはずです。そのためには、今も申し上げたプッシュ型で支援するということに加えて、究極的には民間が提供するアプリやサービスの中に行政サービスや手続きが組み込まれるべきだと思っています。
ショッピングサイト、交通機関、銀行などと行政手続きが自然に連携している形です。買い物や決済、移動といった社会経済活動を行うプロセス、その大半は民間企業が提供しているわけですが、行政サービスはその中に溶け込んで、シームレスに手続きされるべきです。CRMの概念は、こうしたプッシュ型や民間サービス内包型の行政システムの前提となるものなので重要と考えています。
トップが主導し、「県民起点」の施策立案
――行政DXには、業務プロセスそのものをデジタルに合わせるBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)が必要です。湯山副知事は以前からBPRの重要性を訴え取り組んできましたが、実行するのは難しいといった声も聞きます。
まさにその通りで、多くの地方公共団体の方から同様のご指摘をいただきます。これまで、奈良県の取り組み事例を紹介する中で多くの自治体関係の方々から、「どのようにしたら、そのようなBPRを実現できるのか、秘訣を教えてほしい」といったご質問を受けてきました。その際、まずもってお伝えしているのは、行政のBPRはその業務の担当レベルだけでは、権限の範囲を超え、踏み込んだ対応が難しい。また、インセンティブを持つことも難しい。そうすると、奈良県も取り組みの途上ですが、少なくとも最初のうちは、人事権と予算編成権を持った人が、先頭に立って進めていくことが必要だということです。
その上で、次の段階として重要なことは、そうした見直し、改革を各担当レベルで主体性を持って進めてもらう。その際、業務を「自分ごと」にしていくことが役に立つケースが多い。ビジネスの世界に「カスタマージャーニー」(顧客が購入するまでのプロセス)という考え方がありますが、これまでの行政は顧客(県民)体験からサービスや施策を考えることがほとんどありませんでした。
これからは行政が県民の視点に立ってその体験をレビューし、何が課題で、どういった改善点があるのかを浮き彫りにしていく。この取り組みは、職員の仕事に対する向き合い方を変える、つまり「自分ごと」にするのに役立ち、結果としてBPR推進の源泉力になると思います。
データ+AI+CRM+信頼が支えるひとり親家庭に寄り添った相談支援
重要な民間との協業。行政も自らリスクを取る
――実行力を持ったトップが主導し、業務を県民起点で考える。過去の慣習などから、行政組織が実践するには時間がかかりそうです。
行政は人事制度上、2~3年で担当者が替わります。しかし、デジタル変革は5年10年と続けないと実現しません。奈良デジタル戦略のプリンシプル(行動指針)で民間との協業を挙げていますが、様々なステークホルダーとの継続的なパートナーシップは不可欠です。
その意味でも、次なる課題は内製化でしょう。すべてとは言いませんが、内製化しないと当事者意識を持ってノウハウの蓄積や人材育成ができず、クオリティの高いサービスは実現しません。国でも地方でも、なんでもかんでも委託するのではなく、自分たちで作っていく。そうした仕事をしている部署・組織は業務や施策に魂が入っており、政策効果も高い場合が多いと感じます。
そして何よりも、委託ばかりでは次の意味ある政策が打てなくなってきます。そこは行政側の体力が問われるところですが、その答えの1つが奈良スーパーアプリです。自分たちで考え、作り、改善していくサイクルの好事例になってほしいですね。
――奈良県の行政DXを推進するリーダーとして、自らに課していることはありますか。
とても単純なことですが、「明るく楽観的に」です。特にリーダーの立場になるほど、笑顔を絶やさず仕事をすべきだと思っています。
「レッツトライ」の組織文化も非常に重要です。例えば、それがないと、何よりも組織が活性化しませんし、協業する民間事業者の人たちも思いきった事業に取り組めないでしょう。民間企業だけが一歩前に出てください、行政は安全地帯で結果を見守りますということではなくて、行政側も旗を立てながら、一歩踏み込んだ対応をする。それと連動して民間企業もプロジェクトに取り組む。
特にプロジェクトの初期段階は、行政側が一歩踏み込んだ対応を具体的な証拠として伴う形で政策方針を明確化しないと協業・連携なんてできません。
特に、新しいシステムを作っていく、新しいサービスを構築していく場合には、不透明な未来を前提としつつ、それをより良いものにするために、今必要な決断できるかという点が重要だと思います。
すでにそこにある熱い想いと知恵が実現されるよう「殻を剥く」
――笑顔でチャレンジできる行政パーソンとはハードルが高そうです。
そんなことありません。今述べたようなことは、なにも私が自力でやってきたことではまったくなくて、奈良県庁に限らず、財務省でもインド大使館でも、それぞれの仕事の現場に「こうありたい、あるべきだ」という熱い想いとアイデアを持っている仲間、先輩職員がたくさんいました。
今、思い返せば、自分がやってきたことは、そう思っている人たちが実際に行動できるように協働するだけです。例えて言えば、「ゆで卵の殻剥き」を一緒にやってきたという感覚です。大事なアイデアや知恵といった「中身」は多くの場合、粗々そこにある。そうしたみんなの「こうありたい、あるべきだ」を実現するために、少しだけ政策案を微修正したり、多少ややこしいプロセスや手続きなどの殻を剥いて、想いと知恵という中身が自然と表舞台に出てくるようにする。そうやって熱意を持って動く人たちの周囲やその後ろには、また新たなつながりやチャレンジが生まれていく。こうした可能性は、あらゆる地方自治の現場に潜在的にあるものだと思っています。
「届ける力」を磨き上げ、CRMで県民中心の行政サービスを統合的に提供
県民一人ひとりへプッシュ型で届ける行政サービスへ、Salesforceが基盤の「奈良スーパーアプリ」