日本のスタートアップが向き合う「二極化」
──日本でIPOを目指すスタートアップの現状を、湊さんはどのように捉えていますか。
湊 特定のテーマに集中しておらず、宇宙などのディープテックも含めて多種多様なスタートアップが誕生していることは、マーケットの活性化が進んで良い状況だと思います。
SaaS業界に限定すると、新しく立ち上がる企業数は体感では変わっていませんが、Sales Techに代表されるような大きなマーケットを狙う野心的な起業家が増えていて、ポジティブな印象です。
ただ、資金を集められるスタートアップとそうでないスタートアップ。それが明確になっており、二極化が進んでいるように思います。
日本のベンチャーキャピタル(VC)は今、キャッシュに比較的余力があります。その資金が向かうのは、スタートアップの中でも成長に対して野心的で、大胆な新しいプロダクトを考えているところや、エンタープライズに代表されるような新しい顧客セグメントを狙っているところであり、大型調達となる傾向にあります。
一方で、そうでないスタートアップは資金調達そのものが難しく、キャッシュがないので成長に踏み込めず、まずは着実に利益を出すことを優先する動きが見られます。
──この日本の状況は、海外と比べると違いはありますか。
アメリカに比べると資金量やスタートアップの数はまだまだ少ないので、厳しくなっているとはいえ、相対的には競争は緩い環境でしょう。
IPOについては、両国とも件数は大きく変わっていません。近年のアメリカは目立った動きが少なく、昨年上場したSaaSスタートアップの中で注目に値するのは、マーケティングオートメーションベンダーのKlaviyo(クラビヨ)くらいでしょうか。
日本は年間100社前後で推移しているので、IPOを目指すなら比較的安定しているマーケットだと言えます。
ただし、市場の目が厳しくなっています。東証がグロース市場において、時価総額などの上場維持基準を引き上げる検討を始めました。投資家はそれまでかなり利益重視でしたが、利益とのバランスは見つつも成長の比重を大きくしています。コロナ禍ではスタートアップのIPOがバブルとも言える状況でしたので、その反動もあるでしょう。
その結果、特に昨年後半は公募割れ、つまり想定していた時価総額よりも低い価格しか付かなかったケースも散見されました。事業規模が小さければ利益を出していても、なかなか時価総額は増えず、成長投資もできなくなる。小さなIPOは、利益を出していても成長力が疑問視されたのです。
一方で大きめのSaaSスタートアップは、成長か利益かが定まっておらず、資金を集められるところは上場を延期し、業績や方向性を市場の求めに合わせようとしているように見受けられます。
このように過去に比べるとIPOのハードルが上がっており、それに向けて各スタートアップは慎重に体制を整えているところでしょう。
──今年1年はどのような動きがありそうですか。
今年から来年にかけて、そろそろ大型の上場がありそうです。キャッシュを集めやすかった大きめのスタートアップが、コロナ禍が落ち着いて状況が変わり、今後のキャッシュを考えてIPOを目指すものと見ています。
IPOを目指す上で必要な4つの要素
──IPOに向けての経営では、どのような要素に着目した管理が重要でしょうか。数字の管理、オペレーションの管理、人の管理、この3つではないかと考えているのですが、いかがですか。
その3つは確かに重要だと思います。まず「数字」ですが、SaaSの場合は特に、売上の前段階には「The Model」に代表されるようにブレークダウンできる先行指標がたくさんあり、そのレベルで管理が早期化できているか、その重要性を意識した経営ができているかがポイントになります。
我々も投資する際には、特にPMF(Product Market Fit)後のスタートアップに関しては、このポイントに注目しています。
もちろん数字を作るのは人なので、オペレーションも大切です。IPOでは数字の再現性が問われますから、営業もマーケティングもカスタマーサクセスも、オペレーションが再現性のあるモデルになっているか、「型化」ができるかが重要です。
そして再現性を取った上で、次にセールス・イネーブルメント(営業組織の強化・改善)に取り組むのですが、これがスタートアップにとって最も難しいはずです。
人材を採用しても、そのプロダクトに合わせたオペレーションの習熟には時間がかかるもので、日本のスタートアップは特に育成システムが肝になるケースが多いと思います。
──The Model など他社のSaaSのビジネスプロセスを取り入れることで、SaaSは型化がしやすいと思いますが、人材育成は手がけるSaaSによって難易度は変わるものなのでしょうか。
そうですね。それからもう一つ、スタートアップで大事なのが、数字に対してスピード感を持って「達成するぞ」という雰囲気や号令、よく「センス・オブ・アージェンシー(Sense of Urgency)」と呼ばれているものです。
スタートアップは小さいからこそスピードが命なので、マネージャーや経営陣が数字を見て課題を早く発見し、手を打っていくサイクルをいかにスピーディに回せるかが大事です。
──「人」については、どうでしょうか。
例えば100億円の会社を目指しているのか、それとも1兆円の会社を目指しているのかで、集まってくる人が変わってくるものです。経営者がどこを目指しているのかによって、現場がすべきこと、新しくチャレンジしなければいけないことのレベル感も変わってきます。ミッション・ビジョン・バリュー(MVV)が明確で、ユニークかつ高い目標であること。そして、それが圧倒的に浸透しきるかどうかが差別化につながります。
MVVの浸透はスタートアップに限らず、どんな組織においても、現場の人と日々接するミドルマネージャーがカギになります。ミドルマネージャーがどこまでMVVを理解しているかだけでなく、それを体現できているか、そして現場にも根付かせられるか。この視点が経営陣には欠かせません。
──数字、オペレーション、人のほかに成否を分ける要素はありますか。
もう1つの要素に入れたいのはプロダクトで、どれだけユーザー企業の商習慣やリテラシーレベル、あるいはマーケットに合ったプロダクトを届けられるかどうかが成否に影響します。
プロダクトは、売りにくいものと売りやすいもの、さらにオンボーディングしやすいものとオンボーディングしづらいものに分類できます。
売りやすくてオンボーディングしやすいプロダクトはリードが取りやすいのでマーケティングしやすい。だから人材育成も比較的簡単ですし、オペレーションも組みやすく、数字も取りやすい。再現性も高いのです。NotionやSlackのような、価値がすぐに分かりやすいものが多いように思います。
そして、それがさらにスピーディーに進化し続けられるか。このようなプロダクトは、Time to Valueをいかに短くできるかが重要で、プロダクトによって改善スピードにかなり差があるものです。例えばUI /UXをどう改善すれば離脱率にどう影響するのかを見た上で、改善しようとするかどうかの判断と実行力が差になります。
ただ、SaaSプロダクトが進化する過程で悩ましいのが、どんどん機能が追加される一方で、ユーザビリティは下がりやすいことです。よい体験を下げずに維持し続けるのは凄まじく難しいことですが、長期的な競合優位性になるでしょう。
「SaaSは今世紀を代表する素晴らしい発明」
──IPOを目指すSaaSスタートアップにとって、数字、人、オペレーション、そしてプロダクトが重要だというお話を伺いました。
湊さんは以前、Salesforce Venturesに籍を置いていたことがございます。VCですので、直接的にSalesforceのビジネスには携わっていませんが、Salesforceのソリューションはスタートアップの経営にどのように貢献できるでしょうか。
これまでSalesforceは、日本のスタートップ業界に大きく2つの価値をもたらしてきたと考えています。
1つはプロダクトの観点です。SaaSのスタートアップにとっては利益も大切ですが、長期的に見ると、その利益を作り出す人材の成長がとても重要です。そのためには数字の管理とオペレーション管理を紐づけ、見える化する。そのデータにもとづいてマネージャーや経営陣が判断し、現場とコミュニケーションを取っていく。
「Sales Cloud」が蓄積するのはお金と行動が結びついたデータですから、この一連の流れを実現するための基盤としてスタートアップの成長を支えてきました。
もう1つは、数字の見える化に加えて、それに対して何をすればいいのかというノウハウの提供で、コミュニティにおいてセールスフォースの方々が貢献してくださっています。持っている知見や経験を共有してもらえることは、スタートアップにとって今後も大きな価値だと思います。
──最後にぜひ伺いたいのは、湊さんが事業会社やコンサルを経た後、長くSaaS企業の投資や支援に注力している理由です。SaaSの何に魅力を感じているのですか。
まず、SaaSの草分け的存在であるSalesforce創業者のマーク・ベニオフが作った、カスタマーサクセスという概念です。売っておしまいではなく、売ってからが勝負。お客さまが成功して、自分たちも成功。サプライヤーとユーザーの間によく生まれる矛盾を取り払う、画期的なモデルです。
さらにSaaSは、企業と資本市場の矛盾と言いますか、非合理を解決します。売り切り型のモデルは売上の予測がとても立てにくい。けれども、サブスクリプションモデルであれば、解約も含めて売上の見込みが立てやすく、予測性が高まりました。高い透明性によってビジネスの内側を理解しやすくなり、投資家たちやいろいろなステークホルダーがつながれるところが、SaaSの魅力です。
SaaSは今世紀を代表する素晴らしい発明だと思っています。
(執筆:加藤学宏、取材・編集:木村剛士)
合わせて読みたい関連記事