顧客の姿が見えない理由
地方には多くのメーカーが確固としたものづくりの基盤を築いています。たとえば、長く続いている地酒や焼酎のブームで地方の酒造メーカーは注目されていますし、ウイスキーの蒸留所も全国に次々と出てきています。地域の特産品を全国にアピールする食品メーカーや歴史と伝統のある工芸技術を現代のニーズに合わせて供給する製造業など、その業態はさまざまです。
こうした多くのメーカーは安定したビジネスを展開していますが、一方でビジネスの主導権を自社で握れないというジレンマに陥っている企業も少なからずあるようです。「新商品のアイデアはあるのだけれど卸や販社がいまいち乗り気ではなくあきらめた」、「景気の影響を大きく受けているが打開策を見いだせない」といった課題です。
特に、地方の中小メーカーにとって直接消費者に届けられるような大きな全国プロモーションを打つことは、ビジネス規模からすると現実的ではありません。新たに取引先を拡大して、これまで良好な関係を維持してきたパートナーに嫌な顔をされたくもありません。間接販売がビジネスの大半を占めるのですが、卸や販社から詳細な顧客情報をもらえるとは限らず、消費者のニーズを直接つかむことは困難です。
堅実に、そして着実にビジネスを続けていくためには、こうした関係性も大切にしなければなりません。ただ、私がヒアリングした経営者の多くは、「ある程度は自社が主導権を持って、市場=消費者の声を聞き、直接訴えかけられるような施策を打ってみたい」と考えています。私は長年のパートナーである販社との関係を壊さないばかりか、より親密度を増すことも期待できる施策として、セル・スルーに注目することをおすすめしています。
「セル・スルー経営」とは
セル・スルー(Sell-Through)は、商流の最後に卸や販社から小売店を通して消費者に売られた数を指します。セル・アウト(sell-out)と呼ばれることもあります。対して、メーカーの大半は、セル・イン(Sell-In)に注目しています。こちらは、メーカーから販社に販売する「出荷」を指す言葉で、日本のメーカーの多くは、この段階で売上を計上する会計方式を採用しています。
セル・インを重視すると、在庫がリスクになります。つまり、セル・インを増やそうと努力し、その結果が出たとしても、セル・スルーが期待より少なければ在庫が滞留することになります。状況が深刻になれば、小売店や販社は返品や値引き、在庫費用の負担などを要求することになり、メーカーは抵抗するとしても一部は受け入れざるをえない状況に追い込まれかねません。これは、バランスシートを毀損する事態に陥ることを意味し、キャッシュフローにも悪影響を与えます。
多くのメーカーは、販社との良好な関係を継続したいと考えています。それは、セル・インの段階で気心の知れたパートナーの目利きにより、卸先の倉庫に在庫が滞留するリスクを最小化させたいと考えているためでもあります。セル・インの段階で合意できれば、「これまでうまくいっていた」という安心感を得ることもできるのです。
ただ、実際に商品を購入してくれるのは消費者です。経営者は消費者の動向をとらえることで、大きな成長に結びつけられるはずだという期待を持っています。近年は技術の進化により、「心地良く使ってもらえているか」、「おいしく食べてくれたか」といった購買後の行動を重視しようという流れもあります。しかし、そこにいきなり踏み込むより、まずは足元を固めてセル・スルーをきちんと考えるべきなのです。
セル・スルーを重視するメリット
セル・スルーを深く考えなければならない大きな理由に、小売店と消費者がどちらも変化しているという事実があります。スーパーマーケットが取り扱う商品点数は、拡大の一途です。ある調査では、1997年から2016年までの20年間で60%増加しています。こうして、消費者の選択の幅は広がりました。
並行して、小売店がプライベートブランド(PB)商品を拡充していることにも注意しなければいけません。多くのPB商品は、適度な品質で価格競争力の高いモデルですから、消費者の支持を広く集めるものも定着してきています。セル・スルーを意識することで、PB商品を含む多くのライバル商品の中から自社の商品を選んでくれた顧客の姿が見えてくるでしょう。
とはいえ、大きな課題も立ちはだかっています。セル・スルーを重視することは卸や販社とより強固な関係を築いて最終販売目標を立てていくということです。販社の先に小売店があるケースが多く、最終購買データを入手しにくいという課題も出てくるでしょう。そこを打ち破らなくては、セル・スルー経営は掛け声倒れになってしまいます。
では、どうすればセル・スルー経営に経営の舵を向けていけるのでしょう。小さな投資で、少しずつ周囲を巻き込んでいくための方針を事例から見ていきましょう。
Win-Win-Winの関係構築は実現できるか
最終購買データを手に入れにくい理由の1つに、「データを渡す側にメリットがない」ことが挙げられます。東北地方にあるメーカーは、そこに目を付けました。「自社が渡す側に立てば、卸や小売店と一緒になってセル・スルーを考えられるのではないか」、「一緒に考えるということは、購買データは考える材料として提供してもらえるのではないか」という発想です。
そこで、自社ブランドのネット販売サイトを立ち上げました。販社にも参画してもらう形を取り、自社運営ではありますが出荷は各地域にある販社の在庫から行います。ここで直接顧客データを得ることで、商品ごとに“カルテ”を作ります。それに基づいて、小売店に対して対面営業の拡大につなげる企画書を定期的に発行するようにしました。データ分析にはAIを活用し、人的コストは最小限で回すスモールスタートでした。
同社は固有のファンに対して一定のブランドを確立していましたが、それほど知名度は高くありませんでした。しかし、Web広告やクラウドファンディング、プロモーション用の商品展開など、さまざまなマーケティング手段を使い試行錯誤しながら徐々に直接見られる顧客を増やしていったのです。さらに、顧客データを使って積極的に販社や小売店と交流したことでセル・スルーの情報を提供してもらえるようになってきました。
いまでは地域ごとに異なる顧客属性や販売傾向など顧客にかかわるさまざまな情報を、メーカーである同社側できちんと把握できています。もちろん、把握するだけではありません。その情報は小売店をはじめとする取引先にとって最適化されたカルテになるだけでなく、流通ルートの各ポイントにとって役立つカルテとして提供しています。
この一連の流れが出来上がるまで時間がかかりました。初期は現在のように洗練された形ではありませんでしたが、いまでもさまざまな形で新しい取り組みを行っています。販売店から微妙な評価を下された商品が売れたケースもあれば、販売店の見立てどおりに売れなかったケースもあります。そうしたチャレンジもすべて記録に残ります。データがあれば分析して共有することができます。この仕組みを回し続けることで、同社は自社とサプライチェーン上のプレイヤー、そして消費者のすべてにメリットのあるWin-Win-Winの関係をより深いものへと進化させようとしています。
セル・スルーを重視すると、自然にDXが生まれる
セル・スルーを意識することで、このメーカーのビジネスがデジタルを存分に活用するモデルへと変質していったことにも注目してください。地方発のDXは、実はそれほどハードルの高いものではありません。むしろ、地方を拠点にしていて、ビジネス規模がそれほど大きくないメーカーにこそデジタルは大きな価値をもたらしてくれるのです。
最後に、セル・スルー経営を実現するために重要なポイントとして、上の図を紹介します。すでに長く良い関係を続けてきたパートナーと共存共栄できることが、地方のメーカーにとって大きなメリットになるのではないでしょうか。データ・ドリブンで、カンに頼らない、健全な経営を、メーカーがサプライチェーン全体を巻き込みながら、主体的に実現することを目指せるモデルです。このブログがみなさんのビジネスのヒントになれば幸いです。
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