少子高齢化が進む中、各自治体は地域を維持・発展させるために、試行錯誤しながら子育て支援に取り組んでいます。約377万人が住む日本最大の基礎自治体(市町村)である横浜市も例外ではなく、少子化が始まっています。
その対策として横浜市では、時間と精神のゆとりを創出することが重要だと考え、そのためのアプリを独自開発しました。その内容とそこにはどんな思いがあったのか。自治体において出色と言えるこの取り組みを、横浜市 こども青少年局総務部企画調整課担当課長の永松弘至氏と、このプロジェクトをテクノロジー面で支援したデロイトトーマツコンサルティングのパブリックセクター ディレクター 出水裕輝氏に伺いました。
公共機関向けSalesforce実践事例集
Salesforceを活用することで、どのように利用者に寄り添ったサービスと業務の生産性向上を両立することができるのか、具体的なユースケースを交えてご紹介します。

目次
テクノロジーで「子育てしたいまち」を目指す横浜市
──横浜市が子育て応援アプリを開発することになった背景を教えてください。
永松 横浜市は現在推進する「横浜市中期計画2022~2025」において、すべての政策のよりどころとなる基本戦略として「子育てしたいまち 次世代を共に育むまち ヨコハマ」を設定し5つのテーマに取り組んでいます。
テーマ1 子育て世代への直接支援
テーマ2 コミュニティ・生活環境づくり
テーマ3 生産年齢人口流入による経済活性化
テーマ4 まちの魅力・ブランド力向上
テーマ5 都市の持続可能性
基本戦略は最上位に位置づけられていますから、一見すると子育てとは関係なさそうな局も、すべて「子育てしたい」に帰結するように施策を行っています。
並行して、2022年には「デジタルの恩恵をすべての市民、地域に行きわたらせ、魅力あふれる都市をつくる」ことを目的とした「横浜DX戦略」を策定しました。

横浜市 こども青少年局総務部企画調整課 担当課長
神奈川県出身。2002年横浜市役所入庁後、主にこども青少年分野を担当し、保育所入所や公立保育所の民間移管、小規模保育事業の開始等保育部門を経験。その後政策局、こども青少年局及び区役所において総務、企画部門を歴任。こども青少年局放課後児童育成課長を経て、2023年1月より現職。
この戦略が目指すのは、市民のみなさんに「大切な時間をお返しする」ことです。行政への申請や手続きの時間をお返しし、もっと大切なことに使ってほしい。一方で私たち職員は、事務処理を効率化して時間を生み出し、必要な人に温もりのあるサービスを届けたい。その中で「子育て」は重点テーマであり、DXのリーディングプロジェクトとして取り組む一環で、子育て応援アプリ「パマトコ」を開発することになりました。

このアプリで目指したのは、主に3つの課題解消です。
①子育て家庭は、仕事や家事、育児に追われ、時間的・精神的にゆとりがない
未就学児保護者を対象にした調査で、この意見が非常に多く、改めて可処分時間の確保と精神的ゆとりを求めていることがわかりました。
②子育て関連情報が必要な人に必要なタイミングで届きにくい
区役所などで手渡される資料やチラシ、郵送物、子育て関連施設に置かれた資料、町内の掲示板、ウェブサイトやSNSといった、さまざまな場所・機会・媒体の情報があふれる中では、適切に選択することは難しく、行政からタイムリーに必要な人に届きにくい状況があります。
③持続可能な市政運営の実現
これはどの行政もが抱える課題です。急激な少子高齢化と人口減少に伴う市税収入の減少により、現在の行政サービスの水準を維持することが困難になりつつあるため、効率的かつ効果的な行政運営が求められています。
アプリで市民の負担を軽減して時間とゆとりを創出し、同時に行政の業務効率化による経費節減で新たな施策への再配分を可能にすることで、「子育てしたいまち」を実現しようと考えたのです。
なお、関連する数字をご紹介すると、6歳未満がいる世帯は約13万。子どもや子育てに関する申請は、年間約100万件。保育所・幼稚園が約1800施設、公園が約2700か所。媒体に掲載されているイベント情報は大小合わせて約5000件となっています。

子育てに関する機能と情報を全方位で提供
──「パマトコ」のこだわりと、代表的な利用シーンを教えてください。
永松 子育ては、妊娠から出産、保育、小学校入学とさまざまなシチュエーションがあり、保護者の事情も一様ではありません。「パマトコ」は、これまで分断されがちだった子育てに関する機能と情報を集約。出産、幼児期、就学期の情報を数珠つなぎにして活用し、ご家族のライフスタイルにまで展開した包括的なサポートを可能にするものです。
例えば、こんなことができるようになっています。
・お子さまの年齢やお住まいの地域に合ったお知らせやイベント情報が届く。
・スマホからいつでも児童手当や小児医療証などの各種申請ができる。
・横浜市独自の出産費用助成金や、妊婦健診費用助成金の申請ができる。
・子育て施設は内容に応じて最適な場所がすぐに見つかる。
・母子手帳の機能では、予防接種の管理や成長の記録ができる。

負担軽減のわかりやすい例としては、一度記載したほぼ変わらない情報を、さまざまな申請手続きで繰り返し記載する必要がなくなりました。
現在は小学校入学の手前までがサポートの対象ですが、将来的には対象を中学生まで広げる計画です。私も自分の子どもの小学校入学時には、手続きが本当に面倒なことを、身をもって実感しましたし、どうにかしたいという思いを強く持って対応を進めているところです。
もう一つのこだわりは、自治体では作って終わりのアプリが多い中、「パマトコ」はリリース後も市民の声を取り入れながら何回も改修を繰り返して、新鮮さを保っていることです。市民の期待も高いようで、3か月で700件の提案がありました。

パートナーはデロイトを選定。Salesforceを軸にシステム構築
──アプリの開発パートナーには、入札を経てデロイトデロイト トーマツ コンサルティングを選びました。何が決め手となったのでしょうか。
永松 デロイトは、自治体向けコンサルティングで多数の実績があり、自治体特有の業務知識とシステムに精通、熟知していたのが大きなポイントでした。今回は、横浜市がアプリで実現したい包括的なサポートを短期間で実現するために、Salesforceと独自のナレッジとアセットの活用を提案していただきました。
出水 コロナ禍以降、自治体のデジタル化が急速に進んだことから、行政サービス基盤ソリューションをより一層強化してきました。
その一つが「住民CRM」です。自治体はこれまで以上に住民のことを知り、それをデジタル上で活用するプラットフォームを整備することが重要。本来CRMは、企業のマーケティングやセールスにおいて顧客を知るためのツールですが、住民を知るのにも有効です。CRM(Customer Relationship Management)の「C(Customer)」は、「Citizen(市民)」に置き換えることもできるのです。

デロイトトーマツコンサルティング合同会社 パブリックセクターディレクター
SIer、大手シンクタンクを経て現職。システム構想策定から、各種システムの導入・運用等、多数のITコンサルティングサービスに従事。公共案件に係る調査案件、事例調査、大規模事業の運営支援等の実績多数。
今回のプロジェクトでは、自治体向けのデータモデルを作り込みました。例えば申請書にそのまま使えるような形で、家族の情報や子どもの年齢などを管理できます。
もう一つは、住民一人ひとりの情報を全方位で扱う「360°View」という考え方に基づいて申請、相談、相談予約、情報発信などの機能が「つながる」ことです。申請に対して、次はこんな申請をしたほうがいいですよ、こんなイベントに参加したほうがいいですよ、といったように循環させることができます。

──Salesforceをプラットフォームとして採用したのはなぜでしょうか。
永松 横浜市は、データの有効活用を念頭に置いていました。子どもや保護者の状況はよく変わりますし、子育て中は転居することも多いため、パーソナライズした情報の提供が必要不可欠です。CRMで世界No.1の実績を持つSalesforceは、住民情報のパーソナライズにも非常にマッチするのではないかと期待しました。
出水 私も子育て支援においてデータは宝だと考えています。これまで認知できていなかった必要な支援の存在を、膨大なデータが教えてくれます。
しかし、これまでの取り組みの延長線上では、期待するような活用は難しいのが実態ではないでしょうか。その理由は多くの自治体では、母子健康手帳や施設管理といった個々のパッケージを採用してきたからです。
データを活用するという概念がないばかりか、データ主権がユーザー(住民)にあることを規定していない製品も少なくないため、機能面でもコンプライアンス面でも、連携して包括的な支援の仕組みを作ることができないのです。
Salesforceであれば当然、データはユーザーのものとして扱われますし、それを実現するセキュリティ機能も実装されています。また、標準機能でもレポートを表示して自由にデータを分析できることも利点です。

永松 横浜市としては当然、安心・安全に利用できることを重視しており、情報にアクセスできる権限は、横浜市の担当所管課に限定するだけでなく、夫婦などのパートナー間でも適切にコントロールしています。例えば母子健康手帳の機能では、子どもの成長記録を共同で残したり共有したりできますが、妊婦のプライバシーに配慮すべき情報は制限しています。

Salesforce のデータプラットフォーム 「Data Cloud」とは
Salesforceとネイティブ連携する拡張性の高いデータプラットフォーム。企業が持つすべてのデータを1か所に集約し、最大限に活用できるようにします。

異例のスピードでアプリを実現できた理由
──このプロジェクトは、どれくらいの期間で推進されたのでしょうか。
永松 構想を始めてから半年、契約からは1年なので合わせて1年半です。
──すごいスピードですよね。
出水 自治体のシステムは、構想だけでも1年以上かかることが多いので、異例と言えます。
永松 走りながら検討を進めていたこと、住民CRMのコンセプトが子育てに合っていたこと、そして先ほど触れたようにデロイトがシステムと業務の知見とアセットを持っていたことが大きかったです。
出水 ありがとうございます。自治体特有の業務内容やプロセス、仕組みや制約を理解しているので、例えば他のシステムで持っている個人情報をSalesforce上で扱っても問題ないか、そもそも接続していいのかといった助言ができ、短期間での開発に貢献できたという自負があります。また、提供するコンテンツをどういうふうに分類すべきなのかという答えも、自治体ポータルサイト構築の実績を踏まえて持っていました。
とはいえ、私の立場から見ると、大きな成功要因は横浜市の体制だったと思います。どの自治体も縦割り文化が強いので、「子育て」という文脈だけでまとまるのは難しい。横浜市は永松さんから最初に説明があったように、基本戦略という旗印のもとでプロジェクトチームを組織できたところが特徴的です。
永松 それは間違いないと思います。市長直轄プロジェクトという形をとり、全庁への影響力を持つ政策経営局と連名で通知を出すなど、横串を刺すためにひと手間もふた手間もかけたからです。ミーティングは毎週2、3回実施していましたが、このチームで決められることが多かったのでスムーズに進められました。
たとえば、データ活用において情報の集約や更新が発生することに対して、「なぜ仕事を増やすのか」といった反応が以前はありましたが、「基本戦略」の力が強いので前進できました。

脅威の利用率。今年度生まれた子どもを持つ家庭の約95%が利用
──「パマトコ」に対する市民の反応はいかがですか。
永松 まだ使いづらさを解消していく段階ではありますが、良い評価が多く、登録ユーザー数は目標を大きく上回って推移しており、今年度生まれた子どもを持つ家庭のうち約95%が利用しています。登録するだけでなく、オンライン経由での申請件数も伸びています。
特に日本語では十分に情報が届けられていなかった外国人の申請漏れに効果があり、アンケートでは非常に高い評価を得ています。

市役所内では、イベント情報の入力が手間で大変だという声がある一方で、掲載後の参加者数が1.5倍に増えたイベントがあり、前向きな声もあります
また、次の施策につながるデータ活用も、初歩的なことは始まっています。イベントの応募者が多くてキャンセル待ちがどの程度発生したのかが可視化され、次年度の計画を立てるための検討材料となっているのがその一つです。
それから、全国の自治体から、どのように進めたのか聞きたいといった問い合わせも来ており、市民、職員、他の自治体といった多方面で反響がありました。
出水 「パマトコ」は日本のリーディングプロジェクトとして見られるぐらいに先進的だと思うので、問い合わせは当然でしょう。これほどまでに情報と機能を統合しようとするのは類を見ないこと。市民が必要な子育て関連の情報は、アプリにすべて集約してホームページは廃止するという意見が出たほどの気概があり、成功要因は複数ありますが、横浜市がこの情熱を持っていたことが先進的なこのプロジェクトを導いたと感じています。

子育てアプリを通して「横浜DX戦略」が前進
──最後に、このアプリやプロジェクトをどのように進化させていきたいのかをお聞かせください。
永松 遠くない将来、妊娠がわかった時点で医師から「パマトコ」を勧められるような、地域に根付いた存在になり、中学生までの手続きはすべて手のひらのスマホで完結できるようにしたいです。また、「横浜DX戦略」の初手として対象を限定した子育て領域が形になってきましたので、今後は全市民に役立つアプリへの拡張も検討することになるでしょう。
ただ、改善が必要なことはたくさんあります。すべての情報を統合できていませんし、母子健康手帳と、デジタル庁が開発した情報連携システム(Public Medical Hub:PMH)やマイナンバーとの連携もこれからです。
また、デジタルによる効率化は市民を優先していることもあり、職員から強い要望がある人的負担の改善を実感できる状態にはなっていません。今後は職員の業務効率化にも取り組んでいきます。
出水 自動化、省力化を実現するために、デロイトとしてはAIの活用も含めた今後の提案が期待されていると認識しています。Salesforceが提供する生成AIを、自治体向けにどう役立てられるのか、市民向けと職員向けの双方で可能性を探っています。
「パマトコ」のようなアプリは、今までも各自治体の関係者が「あったらいいな」とは思っていたはずです。ただ、予算や人材がない中では夢でしかなかった。それが今回生まれた横浜市の先例によって、「スタートできる」状態になったのではないでしょうか。少しずつでも世の中が変わっていくために、経験を共有できるといいですね。

執筆:加藤学宏、取材・編集:木村剛士
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