M&A仲介最大手が直面した“拡張の壁”将来を見据えたリニューアルと社内リスキリング
顧客・案件情報管理システムとしてSalesforceを導入、ユーザーの要望に応える機能開発等で当初の目標を達成。“拡張の壁”という新たな課題に直面するも、標準機能とAppExchangeを駆使する全面リニューアルで12年連続増収増益を達成
Salesforceの利用を定着させ、一定の成果を上げたものの、“拡張の壁”に突き当たった「活用促進期」。そこからの脱却を図るべく、開発機能を標準機能に置き換えるSalesforce全面リニューアルを敢行した「拡張期」。その2つのフェーズにおいて、同社がどのような課題を抱え、それらをいかに克服したかを紹介します。
1. 急成長企業におけるDX戦略の柱となるSalesforce
株式会社日本M&Aセンターは、中堅・中小企業を対象とするM&A仲介において国内最多の成約実績を誇るコンサルティング企業です。1991年に創業した同社は、業界の草分けとして全国の企業の友好的M&Aを支援し、成長を続けてきました。その躍進ぶりは目覚しく、2006年に東証マザーズへ上場後、2007年に当時史上4番目の早さで東証一部への市場変更を果たしました。2022年には東証プライムへ移行し、累計成約実績は7,500件を超えています。
同社の急成長の背景には、日本の中小企業が抱える深刻な後継者不足が大きく影響しています。日本の中小企業・小規模事業経営者の約245万人が70歳以上であることに加え、その半数の約127万人が後継者未定で、2025年までに約60万社に黒字廃業の可能性があるのです。「そうした危機的状況の中で、1社でも多くの企業をM&Aによって救うため、当社はリーディングカンパニーとして成長し続けなければならない」と代表取締役社長の三宅卓氏は力を込めて話します。
「ビジネスが拡大して従業員が急増する中、生産性の維持・向上を図るためには、教育による従業員のスキルアップと、DXによる業務改善が不可欠です。その2つをうまく組み合わせることで、当社の成長は担保されるのです」(三宅氏)
そうした経営判断のもと、同社はDX戦略を積極的に推し進めてきました。上席執行役員でデジタル統括部長の九鬼隆剛氏はこう解説します。
「2つの戦略のうちの1つは、顧客との接点を作るマーケティング領域におけるデジタルの活用です。リード獲得を目的としたWebサイトやデジタル広告の活用、自社のエンジニア採用などが主な施策です。
そしてもう1つは、社内の業務改善につながるデジタルの活用です。M&Aの業務プロセスにおけるリードタイムをデジタルの力で短縮するなど、生産性の向上に長年取り組んできました」(九鬼氏)
そのようなDX戦略の一環として、同社が10年近くにわたって活用してきたのがSalesforceです。現在、同社におけるSalesforceの位置づけは、「ビジネスに与えている影響は極めて大きく、当社のDX推進の柱になっているといっていい」と三宅氏が評するほどになっています。
では、その状態に至るまでに、同社はどのような課題を抱え、それらをSalesforceでいかに克服してきたのでしょうか? 2014年~2018年を「フェーズ1:活用促進期」、2018年以降を「フェーズ2:拡張期」という2つの時期に分け、詳しく振り返ってみましょう。
2. 「フェーズ1:活用促進期」利用ルール徹底とユーザー目線の機能実装で定着化
2014年当時、同社は急速なビジネス拡大により、情報管理における課題に直面していました。M&Aの仲介において、売り手・買い手となる顧客企業の情報管理は、最適なマッチングを効率的に行うための要といえる領域です。同社では、Excel等による手動での管理から始まり、その後フルスクラッチの顧客管理システムでの管理へ移行しましたが、顧客と従業員が増えるにつれて、そうした体制は限界に近づいていきました。データマーケティング部副部長の藤田舞氏はこう振り返ります。
「当時はM&A案件の一覧がなく、会議や営業担当者同士の情報交換で属人的にマッチングしており、お客様が増えていけばいずれ把握しきれなくなるのは明らかでした。また、内製した顧客管理システムは拡張性が低く、活用範囲を広げようとすると、つど開発コストがかかりました。今後の業務の拡張に対応してデータを管理でき、誰でも案件一覧や商談の進捗状況を見られる環境を作らなければならないと考え、Salesforce導入によるシステム刷新を決断しました」(藤田氏)
同社は、藤田氏をSalesforce活用の推進役として、システム構築と利用定着化を進めていきました。まず、データ入力を徹底するために取り組んだのが、Salesforce利用のルール作りです。三宅氏はその内容をこう解説します。
「5営業日以内にデータを入力しないとPCがロックされ、解除には私のサインを必要とする、日報については400文字以上入力し、満たないものは仕事をしたと認めない、という厳しいルールです。その代わり、きちんと情報を入力すれば、自分のお客様として6か月保持できることにしました。いわば“飴と鞭”でSalesforceの定着化を図りました」(三宅氏)
Salesforceを採用した多くの企業で課題になる、Salesforceの現場への定着化。同社では、厳しいルールと利用者へのメリットをトップダウンで示すことで、次第に現場での利用が定着していきました。「Salesforceを使わざるを得ない状況を作り出さない限り、現場への定着化はいつまでも実現しないと思った」と三宅氏は振り返ります。
一方、藤田氏は、現場の営業担当者にメリットをさらに実感してもらえるような仕組み作りに腐心した、と話します。
「課題だったM&Aの案件一覧を整備すれば、営業担当者はそれを見て、効率的にマッチングできるようになります。それを最初に作ったことが、利用浸透の一番のポイントになったと思います。そのほかにも、営業担当者の要望を取り入れ、入力しやすい“営業に優しいシステム”になるよう、Salesforceの標準機能を利用するだけでなく、多くの機能をパートナーに開発していただいて実装していきました」(藤田氏)
そうした努力と工夫の結果、同社におけるSalesforceは、顧客と商談に関する全情報を蓄積・管理し、営業担当者の成績やスキルの向上に直結する仕組みとなったのです。
3. 「フェーズ2:拡張期」開発機能を標準機能に置き換え全面リニューアル
マッチングから成約後のフォローまでを完結できる、営業にとって不可欠なシステムとなったSalesforce。ところが導入から4年近くが経過した頃、同社は新たな“壁”に直面します。全社でSalesforceを利用し、各部署の複雑な業務要件と要望に対応するべく開発を重ねたことで、機能や使い勝手が向上した反面、複雑性が増し、自社で開発した部分に機能追加できないという“拡張の壁”に突き当たってしまったのです。
ここで三宅氏は、大胆な経営判断を下します。それは、前職のコンピューター会社で長年、金融機関向けのシステムの企画・販売に携わった同氏ならではの決断だったといえるかもしれません。
「将来のことを考えて一旦システム構成をゼロに戻し、Salesforceの標準機能のみを使って全面的にリニューアルすることにしたのです。そもそもSalesforceを導入したのは、ビジネス拡大に合わせて柔軟に拡張できると考えたから。拡張が限界に達し、結局CRMとしての利用に留まってしまうのでは、Salesforceを入れた意味がない。Salesforceはバージョンアップによってどんどん進化しています。実は当社のやりたいことは、開発しなくても標準機能やAppExchangeを使って低コストで実現可能になっているわけですから、その優位性を活かす方針に転換しました」(三宅氏)
2018年、同社はまず、マーケティング領域の機能をAccount Engagement(旧Pardot)に移行するところからリニューアルを開始。その後、メインである顧客・案件管理の領域を、誰にでもわかる設計でSales Cloudの標準機能に置き換えていきました。これで見込み顧客管理から案件管理までがつながりました。
しかし当然ながら、使い慣れたシステムを大幅に変更したことで、UIの改善など、ユーザーからはさまざまな改修の要望が寄せられました。また、あらゆる業務がSalesforceに集約されたことにより、藤田氏をはじめとする運用チームが対応する業務の幅も拡大し、すべてにスピーディな対応ができなくなっていました。
会社の成長のためには、運用チームが現場の困りごとを解決していくだけでなく、現場の従業員が自分たちの業務をよりよく改善していくためにどう活用していくかという視点が必要だ、と藤田氏は考えました。そして、運用担当者だけではなく現場サイドにも、これまで以上に自分ごととしてSalesforceを理解してもらうために始まった取り組みが、社内資格制度の創設によるSalesforce人材の育成です。
きっかけは、ある新入社員が1か月間の社内研修で認定アドミニストレーターに近いレベルまでSalesforceを使いこなせるようになったことでした。手応えを感じた藤田氏は、資格制度の創設を経営層に提案。初級・上級・認定アドミニストレーターの3コースから成る教育プログラムを2022年1月にスタートさせました。会社公認でSalesforceのスキルを身につけられ、報酬も得られるこの資格制度は、社内で好評を博し、順番待ちの状態が続いているそうです。
4. フェーズ2「拡張期」AppExchangeの活用で業務の改善・拡張に対応
さらに、標準機能をベースとするSalesforceのリニューアルプロジェクトにおいて大きな役割を果たしているのが、続々と追加導入されている各種AppExchangeアプリです。
たとえばSkyVisualEditorは、Salesforceの画面をマウス操作だけで誰でも自由に開発でき、案件・企業の検索性の向上などに大きく寄与しています。一方、SVF Cloud for Salesforceは、見積書・請求書・契約書など、顧客に提出する帳票の作成や資料の出力などで幅広く利用され、データがSalesforceに蓄積されることで業務効率化に役立っています。また、顧客情報の共有と外部人事データをはじめとする企業情報の活用を目的として Sansan も全社導入しています。
さらに、資格制度とデータ民主化の成果も出てきています。その代表例が、顧客との秘密保持契約の締結のスピードを上げたいという目的で導入されたクラウドサイン for Salesforce。ツールの比較から導入まで、藤田氏の推進チームはサポートしたのみで、ドキュメント管理部の資格取得者から声が上がり、導入が進められたそうです。
AppExchangeは、機能の置き換えによる業務改善に留まらず、開発なしに新たな機能の追加による業務拡張にも大いに貢献しています。Account Engagementに蓄積された各種データのさらなる活用を目指して導入されたMAPlus アクティビティコネクターは、顧客接点の拡大やマーケティング施策の効果検証など、DX戦略の重要施策に位置づけられているマーケティング活動の今後に好影響を与え得るものとして期待されています。
5. リード獲得数が2年半で6倍! Salesforceがコロナ禍でも成長し続ける原動力に
過去、多大な努力を払ってSalesforceの利用を定着させ、一定の成果を上げていたにも関わらず、将来を見据えて敢行された全面リニューアル。九鬼氏は、その効果について次のように話します。
「リニューアル後、機能の拡張やAppExchangeの活用が容易になったことで、マーケティング領域におけるさまざまな取り組みが非常にいいペースで進んでいます。リード獲得数がこの2年半で約6倍に増加するなど、数字としての効果が確実に出ています」(九鬼氏)
また、Salesforce人材の育成を積極的に行ってきた同社では、2023年1月にSales Enablementを導入しました。いつも使っているSalesforceの画面上で社内教育やeラーニングを行えるようになり、さらに多様な人材の育成や社内研修の効率化に取り組む予定です。これまで進めてきた取り組みとSales Enablementで創出される価値との組み合わせによって、今後大きな成果が生まれることを期待せずにはいられません。
「レポートやダッシュボードを活用できる初級コースの資格取得者は、従業員約1,000名のうち約200名に達しています。各人が月5時間、業務を効率化できる人材になったと仮定すると、全社で月1,000時間の削減効果を期待できます。
また、案件創出数についても、100名の営業担当者がそれぞれ1案件ずつ多く創出できるようになれば、1案件数千万円というビジネスですから、インパクトは非常に大きい。Salesforceの全面リニューアルとデータの民主化によって、そのように圧倒的にレバレッジの効いた業務効率化と生産性向上が可能になっているのです」(藤田氏)
2022年度まで12期連続で増収増益を達成した同社。「全業務の約9割をプラットフォームとして支えているSalesforceが、成長の原動力になったのは間違いない」、と藤田氏はいいます。特に2020年以降、コロナ禍という未曾有の危機に見舞われながらも、それまで通りの成長スピードを維持できたのは、Salesforceのリニューアルとさらなる活用の賜物といえるかもしれません。
三宅氏は、「米国などではすでに行われている、AIやビッグデータを活用した自動マッチングなどに取り組んでいきたい」と今後の展望を語り、最後にこう話しました。
「Salesforceは拡張性に富み、日々進化するプラットフォームですが、導入が成功するかどうかは別問題です。成否を分けるポイントは、『Salesforceを入れてこういうことをしたい』という明確なビジョンを経営者が持つことと、誰もがデータを自由に閲覧・加工して有効活用できるようなデータの民主化を進めること。どちらも素人にはなかなか難しいことなので、プロフェッショナルで経験豊かなSalesforceの営業の方と一緒に考えていくことが大事だと思います」(三宅氏)